全体の位置関係を古地図で確認しておきましょう。
坂の右側が
イタリア大使館
三井綱町倶楽部
慶応大学
秋月藩黒田邸
元神明宮天祖神社
有馬藩邸
クリックするとパノラマ写真となります。
古地図出典:
 江戸散歩・東京散歩 成美堂出版 (2005年) P58より
 ISBN4-415-10139-9
 
説明地図の上矢印方向に撮った写真です。

右の塀は島原藩松平主殿頭の上屋敷で現慶応大学三田校舎です。坂の上が松山藩松平隠岐守の屋敷(現イタリア大使館)、そして右側は会津藩松平肥後守(松平 容保のこと)の上屋敷です。

 これらの写真はイギリス人写真家フェリックス・ベアトが撮ったものですが、この写真は薩摩屋敷の写真と説明されているものが多いが誤りです。

 これらの地域を熟知している方には、現状の地形との比較したイメージが湧くと思うが、現代は非常に便利になり、行ったことのない人でもGoogle streetを利用すれば簡単に散歩できます。イタリア大使館から三井倶楽部へと登っていく細めの坂道を実感いただけると思うのでお試しあれ。
 ちなみにGoogle Mapで「東京都港区三田2丁目5−4」と入力検索すると付近の地図が出てくるので、そこからGoogle streeのお人形さんをこの坂道部分に持ってくると周りの360度の風景を見渡しながら散歩が出来ますよ。

 楽しんで下さいね。
上の写真の現在の姿です。
坂の曲がり具合、曲がり道と森の木々の感じが
、ぴったりですね
以前に掲載したパノラマ写真(三枚を合成)の中央部写真です。

 上の案内地図で説明しますと横向きの矢印方向に撮ったものです。左側が有馬藩邸江戸上屋敷でとったのは赤羽橋(現在の都営地下鉄 赤羽橋駅を下りて直ぐです。)の上からかと思われます。
 写真の奥手方向が現在の首都高速 一ノ橋ジャンクション、そして麻布十番商店街、六本木ヒルズとなるわけです。

 川(古川といいます。)の右側は町屋の感じです。

 現在は古川に上は全て首都高が覆っており、今とは全くちがった景観となっており、時代の移り変わりを感じますね。
現在の赤羽橋交差点です。
左のガラス張りのビルの所が旧有馬藩邸、
その横の車が沢山通っている通りが、首都高一ノ橋ジャンクション、麻布十番商店街、六本木ヒルズに繋がります。
右側の橋みたいに見えるのが、浜崎橋から一ノ橋ジャンクションへ向かう首都高環状線です。
この下が赤羽橋、首都高の下を古川が流れています。
上の地図で下向きの矢印方向(中ノ橋から元神明宮天祖神社の方向)に撮ったものです。
左手の塀が有馬藩邸で、右側の塀が秋月藩黒田邸上屋敷です。写真奧のこんもりした木があるところが元神明宮天祖神社です。
 写真に写っている有馬藩邸の塀の直ぐ内側に水天宮がありました。(現在は先にも書きましたように箱崎付近に移転しています。)
この写真が上の写真に相当した位置の映像です。
道の向こうに神社の森が見え、何となく面影が残っていますね。
これは有馬藩邸内にあった火の見櫓を撤去しているときの写真と言うことです。随分と茫漠たる風景ですね。

 以前、「第7代藩主 頼ゆきは一代一度の名誉職、芝増上寺の御火消役を4度も拝命している。」と書きましたが、増上寺の御火消役との絡みで大規模な火の見櫓を作っていたのでしょう。
 ご存じの通り、火事は江戸の花、各所にこのような防火設備が設けられていました。
 (機会があったら江戸の火事についても語りましょう。このような歴史的背景を知りながら東京散歩するのは楽しいですよ。)
有馬藩邸 江戸上屋敷付近の歴史写真
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